hatamblr (1/76)

よく鍼灸の世界では人体は気で出来ているといったりしますが、これはあくまで肉体とその生理作用があるといっているだけなのです。

気が大切なのは、言葉の意味ではありません。治療法を組み立てる時に非常に便利な概念だから大切なのです。

東洋医学の話 -気- « うらさき鍼灸院の院長ブログ

中沢:
僕ヒマラヤへ入っていったわけですよ。それで僕の荷物を持ってくれているシェルパの人、ずっとウォークマン聞いているんですよ。で、まあマイケルジャクソンだったと。笑 僕としてはエキゾチックというか、、冒険家の気分なんですね。日本人の研究者が踏み込んだことないところに行くわけですけど一緒に歩いているシェルパの人はそんな意識まったくないわけですよ。だって日本人にしても欧米人にしても冒険だと思って出かけていくけれどそこに住んでいる人たちにとっては日常なわけで、そんなのは幻想に過ぎないんですね。

で、イヤホンを耳につけたとき、これがマイケル・ジャクソンだったときの衝撃っていうのがあるのね。外の世界ではお経の世界とかあるわけ。冷水を浴びせられるような思いがしたんですね。

つまり何か未知のものを手に入れて、それを高々とこう、かざすようにして元の国や共同体に戻っていくのはだめなんじゃないかと思った。つまり地球上は誰かが一度は歩き、誰かが一度はフィルムにおさめ、誰かが一度は語ってきた世界になっているんじゃないかと。そうしたとき、僕らにやらなきゃいけないことは冒険じゃないんじゃないかと思った。大事なのは、細野さんもいったけど路地裏だと思っている。つまり誰もが知っていて、誰もが当たり前だと思って使って楽しんでいるものがあって、それを全然違う目で見て、違う編み上げ方で作っていったとき、今までの世界ががらっと姿を変えてくれる。そういう風にしてぼくらの文化や未来は作り上げられなくてはいけないんじゃないかと思った。

多摩美術大学「21世紀文化論」中沢新一×細野晴臣

link tamabi.tv | 多摩美術大学

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泰: あ、初めて重複リブログしちまった。最初にリブログしてからどのくらいたったんだろう?

(via nanospectives)

(via uncate)

白岩 ああー、なるほど。
   つまり、いまの若い世代は‥‥。
糸井 うん。若い人は、もう、
   トップギアに入っちゃってるとこから
   はじまっちゃってる。
白岩 ローギアはどこに行ってるんだろうか。
糸井 車ってローからじゃなくても走るよ、
   って知っちゃってるのね。
白岩 ローを知らないですね、たしかに。
糸井 トップギアとはいわないまでも、
   セカンド発進ですよね。
白岩 そうか、そうか。しかもオートマだから、
   それがセカンド発進だということを
   わかってないのかもしれない(笑)。
ほぼ日刊イトイ新聞 - 糸井重里、若い作家と話す。
 世の中には、戦いだとか争いに
 たとえられることがたくさんあります。
 「兵隊が足りない」だとか、「総力戦」だとか、
 「白兵戦」だとか「敗色が濃い」だとか、
 「兵糧攻め」だとか「休戦協定」だとか‥‥ねぇ、
 選挙の話題なんか、もう、戦争の話そのものですね。
 
 ま、だいたい、ビジネスの場で、
 ごく日常的に使っている「戦略」とか「戦術」だって、
 戦争の戦の字がついてますからねぇ。
 そういうなかで、「武器」ということばは、
 いちばん一般的に、しかもけっこういい意味で
 使われているかもしれません。
 じぶんだけの武器を持て、とか、
 武器も持たずに戦えるか、とか、
 いつも武器をみがいておけ、とかね。
 
 武器は、「いいもの」だということになってます。
 石器時代の手斧やら、ジャングルのなかでのナイフなら、
 その感じはよくわかるのですが、
 いまの時代に生きているものにとって、
 ほんとうに武器というやつは、いいばかりのものなのか。
 特に、強い殺傷力のあるような武器は、どうなんだろ?
 
 仮にね、あなたが「ピストル」という武器を、
 実際に持っているところを想像してみようか、
 ‥‥というようなことです。
 
 おそらく、武器を持っていること自体が、
 かなりの緊張を強いると思うんですよ。
 かえって自由でなくなる、生きにくくなるでしょう。
 「武器を持つ」というのは、そういうことだと思う。
 「戦場のつもりで生きろ」なんて、
 ほんとの戦場でない場所で、人は平気で言いますが、
 もうねぇ、やめたほうがいいと思うんですよねぇ。
 かつて、ぼくは冗談めかしてこう言ったことがあります。
 「ペンは剣より強し。ならば、武器よさらば」
 頭脳でも美貌でも家柄でも、武器と言われるものは、
 およそみんな、力を与え、自由を奪いますよね。
ほぼ日刊イトイ新聞 - 今日のダーリン 2009/7/22(Wed)

 なんでも遅れ遅れに「あ、そういうものなの」と
 気づくワタクシですけれど、
 このごろは「ついったー」らしいですね。

 「ほぼ日」は、「ホームページ」という言い方が
 一般的だったころに創刊されました。
 その後は「サイト」とか「ウェブサイト」とか、
 呼び方が変わったようですが、
 ぼくも、付和雷同で、そっちの呼び方にしてます。
 いま「ホームページ」って言うと、ちょと恥ずかしいか。
 
 やがて、いつのまにやら、
 「ホームページ」だの「サイト」だのは古い、と。
 これからは軽くて速くてよく届く「メルマガ」だよーっ、
 というムードが強くなってきました。
 そういうことも、あるのかもしれない。
 ぼくらも、ちょっと採り入れようとなりました。
 でも、やってることは「ホームページ」の時代のまま。

 さらに、その次は「ブログ」でした。
 これは、いままで以上に誘われましたね。
 「ブログのコンサルをしてる」というような人が、
 「指導してあげるから、その古臭いサイトを改めなさい」
 とか、さかんに勧誘してくれました。
 「けっこうです」と、セールスマンを断る主婦のように、
 理由も説明することなく、そのままにしました。
 このごろは、「ブログのほうがいいですよ」という
 強いお誘いは、なくなりましたので穏やかです。
 
 やっと落ちついたところに、「ついったー」です。
 「ほぼ日」がはじまってから、今日まで、
 ネットのさまざまな進化には、のろのろついていって、
 手間がかかりすぎるようだったらあきらめて、
 というやり方で生きてまいりました。
 「Twitter(ついったー)」についても、それですね。
 なんたって、いまごろケイタイのことについて
 研究しているくらいですから、「ほぼ日」って。
 小中学生でもわかるくらいのことを、
 大人がやっていくということかもしれませんね。

ほぼ日刊イトイ新聞 - 今日のダーリン 2009/7/21(Tue)
(脳梗塞<こうそく>で倒れた時)日本人は素晴らしかった。多くの日本人から手紙をもらった。うれしかったし、驚いた。感謝しなければならない。これがわたしの命を救った。家から遠い国でこういうことが起きると、なぜだろうと考える。そんなに外国人のことを心配してくれたのは、わたしが人生で何かに成功したということだろう。なぜかが分かっていなければならない。そうすれば、また繰り返すことができる。生き続ければ何が起きるか分からない。
息が続かないことが問題/オシムが語る - サッカー日本代表ニュース : nikkansports.com
ドラクエは非力なファミコンで快適なUIを実現するため、ボタンが押された瞬間にすべての処理に優先してアタックの強い効果音を鳴らすようにした という話を聞いたことがある。実際の処理はそれより遅れてついてくるんだけど、押した瞬間に何かの反応があれば人は心地よいと感じる
Twitter / Keisuke Fukuda (via tsuda)
「人生2割がちょうどいい」。その心は、「できることの幅は、勝率ではなく、負けられる幅で決まるから。弱者というのは、この負けしろが少ないという人。基本的に負けられない人です」
「2割」で戦えば、8割の「負けしろ」が使える:日経ビジネスオンライン
 なんでだろう、このところ、
 気持ちにゆとりというものがないんですよね。
 本を読んだり、映画や、録画したテレビ番組を見たり、
 犬と散歩したり、寒天つくったり、メダカの掃除したり、
 ちゃんとWiiFitも復活しているし、音楽も聴いてるし、
 いろいろやっているんだけれど、
 ゆとりっていうか、余裕というものがないんだよなぁ。
 なんだか、こうね、なまけもののセンスが、
 失われているような気がします。
 睡眠時間が、徐々に後ろにずれていってるしなぁ。
 
 ゆとりがないということについて、
 あんまり真剣に悩んだりするのも変なもんだし、
 自然の流れにまかせることにしますけどね。
 ぬるいお風呂に飽きるほどつかる、みたいなことを、
 ちょっと取りもどしてみようかと思います。
ほぼ日刊イトイ新聞 - 今日のダーリン 2009/6/16(Tue)
 しばらく前の日本の価値観って、
 「国際的」というかたちで、
 「西欧の人々にもほめられた」というのが、
 いちばんいいことみたいに思われていたでしょう。
 それは、日本一より世界一のほうがスゴイ、
 ということと同じように語られてたと思うんですよ。
 でも、西欧の人にほめられることは、世界一とはちがう。
 さらに言えば、一番だの二番だのの順位に
 関係ないような価値だってありますもんねー。
 いや、もちろん、日本とか西欧とか世界とか時代とか、
 一切合切ぶっ飛ばして「いい!」というものだって、
 あるんだよなぁ、ということも思うんですけどね。
ほぼ日刊イトイ新聞 - 今日のダーリン 2009/6/15(Mon)
 西欧に「見本」があると思って、
 明治維新のあとの日本の「いろいろ」は、
 進化してきたのかもしれません。
 でもね、西欧に「見本」のないものも、
 いっぱいあるわけでしてね。
 そういう、西欧の人たちに認められにくいけれど、 
 「ほんとはなかなかおもしろいものなんだぜ」
 みたいなものが、いまは興味あるなぁ。
ほぼ日刊イトイ新聞 - 今日のダーリン 2009/6/15(Mon)